ドクターMの回想録

アフリカ紀行(1)

198×年4月、私と友人のOは2人、アフリカへと旅立った。
行く先不明、旅程不明のあてのない旅だった。
ケニアのビザは取ったが他の国のは時間の関係で無理。到着当日のナイロビのホテルのみを予約して出発。行き当たりばったりではあるが、何とかなるだろう。
医師になる前夜のコトである。そのときの旅日記が残っていたので、この際デジタル化しておこうと思う。

(カッコ内は後で付け加えた独白です。またお金のレートなどは当時のものです。)



出発

4月9日
午後8時40分、小倉駅発「さくら」にて一路東京に向かう。
われわれはついにアフリカの旅を始めた。元気で行ってきます。
M.K(のちの家内)の見送りをうける。


4月11日
4時22分、成田発のPIAにて中継地マニラへと発つ。
PIAは殆どが男のスチュワードだが、2〜3人はスチュワーデスもいる模様。

マニラ時間午後8時ごろTransit。何もないロビーにて約1時間待つ。トイレには人がたくさんいる。
30分遅れにてバンコクへ発。

(何となく不安な感じです)


4月12日
午前3時、PIA機内にて
現在KARACHIに向かっている。バンコクでは機外へ出ることが出来ず、ずっと機内にいるため大変疲れた。到着予定もだいぶ遅れているようだ。映画が上映されるもあまりおもしろくない西部劇風のもの2本。本でももってくればよかった。


4月12日
午前5時(現地時間)カラチ着。まだまだナイロビまでは距離がある。日本では午前9時。そろそろT君の結婚式が始まる頃である。

(友人のTは大学時代のモトクロス仲間。結婚式の招待を受けていたが欠席。)


4月12日
カラチ、トランジットの待合室にて
チャイを飲む。$100出したが受け取ってもらえず日本円1000円を出した。ところが釣りもくれず、2人で1杯500円の紅茶になってしまった。失敗失敗。

(お茶を飲むのに$100札を出すヤツがあるか)


4月12日
午前10時20分、アブダビ着。砂漠の真ん中の都市である。空港の他には一直線の道路が走るのみ。暑そうである。機内にて待機。


砂漠の真ん中


アブダビ国際空港(宇宙基地か?)

午後12時20分、いよいよ機はアフリカ大陸上空にさしかかった。赤い大地と白い雲と宇宙色の空だけが広がっている。

(いざ出発と言うときになって飛行機から全員退去させられた。貨物に不審物があるという情報があったようだ。結局無事ではあったが、怖いところだ))


ナイロビ、ケニア

4月12日 現地時間午前3時30分
我々の期はついにナイロビ空港に降り立った。一面何もない原野のようである。
通関は何ごともなく通過。
$100をケニアシリング(Ksh)
と両替。

(1Ksh=約10円)


大都市ナイロビ

タクシー(乗り合い)Ksh40にてヒルトンホテル着。恐ろしく高い。何とKsh1980(ツイン)。日本のホテルと変わらないお値段。デポジットSh3000まで取られた。まあ、一日目だけは我慢しよう。

夜、街に出て夕食の場所を探してさまよう。
大変な所に迷い込んだ感じだ。人々の99.9%は黒人。暗闇では表情もわからん。
路地の奥に何とかレストランというインド料理の店を見つけて入る。
意外とうまい。しかもめちゃくちゃ安く、1人Ksh20程で結構お腹一杯になる。
さて明日は地図などを買ってどこかへ出かけることにしよう。

このあたりの日付が変わらないのは西へ西へと飛行機が時間をさかのぼっているからですね。)


4月13日

午前8時、チェックアウト。
その足で近くのOakwood hotelにチェックイン(Ksh800)。
(それでも高いねえ)

これから市内見学のはとバスに乗るつもりだ。
AVISでツアーを予約。旅券番号は適当に言う。

city tourに出かける。一応ナイロビ市内も知っておこうというもの。
1人Ksh180(museumの入場料込み)、まあまあ。
途中Oはキリンやゾウの置物を6匹も買った。私はゾウのしっぽの腕輪をKsh50で購入。
歩いて帰る途中スリがいた。気を付けよう。

のちに船便で日本に届いたキリンやゾウはバラバラ死体状態でした。)

午後から明日のモンバサ行きの汽車のチケットを予約しに駅に行くも18日までFull。仕方なくバスに乗ることにしてstationで予約。1人Ksh90 。
約10時間のバスの旅だ。

Post officeで日本に絵はがき出す。一枚Ksh5。
16日はサファリラリーのスタートだそうである。少し観たい気もするが、モンバサに行かねば。


4月14日

朝7時起床。
朝食にパイナップル、バナナ、コーンフレーク、コーヒー。
バスセンターまで行かなければならないのに雨も降っている。仕方がないのでタクシーに乗ることにした。運ちゃんがモンバサまでSh390で行くと言う。2人なら安いと思ったが、よくよく聞くとガソリン代別と。含めるとKsh4000だって。高すぎ。
誘いを振り切ってバスセンターへ。


am雨上がりのナイロビバスセンター

9時半、バスが来た。思ったより大型のバスではあったが冷房もない。
10時出発。バスは南へとひた走った。左右にはただ緑の大地を青い空が広がっている。アフリカの大地である。
途中トイレ停車一回。約8時間の行程の後モンバサに到着。猛烈に暑い。
宿はABC lodgel。Ksh130(ツイン、シャワー付き)。
夜、近くのインド料理店へ。
カレー、魚のフライ、ムシカキ等しめてSh140。お腹一杯。
明日はサファリツアーの予約に行く予定。

(旅の最初はタクシーだなんて結構贅沢してますなあ。ムシカキは牛肉の串焼きです)


モンバサ、ケニア

4月15日

朝からインフォメーションセンターに行き、モンバサシティーツアー申し込む。10時より老人の運転するマイクロバスでモンバサ市内を観光。古い港やわけのわからん古い街並みなどを観てまわること3時間。その途中、ジーザスとりでという所のガイドが3時から泳ぎに連れて行ってやると言うのでOKする。


ABC lodgeからのモンバサ風景

昼、中華料理。その後サファリツアーの予約に行く。そのツアーは18日出発予定で途中でサファリラリーの見物もパックされているという(Ksh3600)。

3時からガイドの兄ちゃんが来て泳ぎに行った。ニヤリビーチという所にある高級ホテルのプライベートビーチのような所。そこに行くまでマタトゥに乗って約30分。
マタトゥとは小型の乗り合いマイクロバスで通常9人乗りのところ20人以上乗せるものである(Ksh2.5)。
ニヤリリーフホテルは美しい所で白人だらけ。ここで30分程度泳いで次にモンバサビレッジという所に行った。
ここではクロコダイルのショーなどもあり、初めてワニの子供を手に取った。らくだにも乗車(?)した。
代金しめて1人Ksh200。
夕食はMoi Avenueのガーデンレストランへ。ステーキSh50。暑い暑い。クーラーが恋しいよお。

(モンバサはインド洋に面したケニア第二の都市で標高も低いため、湿度が高く猛烈に暑い)


4月16日

銀行に行って$140両替。
その足でサファリツアーの残金を支払いに。あまりの暑さにジュースをいくら飲んでもトイレには行きたくならない。汗で出ている。
その後、ザンビアに入るためのビザを申請に役所に行くも、どうもボーダーで取れと言っているようだ。
昼から昨日行ったニヤリリーフホテルで優雅に過ごそうとマタトゥで出かける。サンダルを買った。
ホテルでは宿泊客の振りをしてプールサイドで過ごそうと思ったが、すぐにバレてしまった。英語はわからない振りをする。しかたなくビーチへ。
とにかく暑い。砂は真っ白だ。ウインドサーフィンを1時間Ksh140で借りる。インド洋でセーリングだあ。30分ほど経ったころ波にもまれて沈。足でセイルを蹴破ってしまった。まずい。
しかたなくそのように申告して返却。白人の兄ちゃんが来てKsh100でrepairするというので仕方なく支払う。まあ、安いものだが。
ケニアで3代ここに住んでいるという人だ。結構親切にしてくれた。
ジュースを飲んでからまたマタトゥで街へ。今日は結構日焼けした。ホテルは暑いよお。


飲んでたマラリアのお薬

リーフホテルはとてもアフリカとは思えない程の所で、すばらしい。ABC lodgeは暑いよお。
夕食は魚のフライとフライドポテト。椰子の実のジュースはあまりおいしくない。

冷た〜い麦茶が飲みたいよ〜。


4月17日

今日はイースターウイークエンドというのを忘れていた。銀行も店も大部分は休みである。ABC lodgeの支払いKsh390を払うと残りわずか。マタトゥでフェリーまで行き、乗る(ただ)。


フェリー乗り場

その後バスでDianiビーチまで約1時間。そこには何も無かった。私たちに関係のない高級ホテルが立ち並んでいるだけ。
仕方なしにこぎたない店で生ぬるいペプシで飲んで、またトラックでフェリーに帰る。フェリー乗り場で1個5円のアイスキャンディーを売っている。これが結構うまい。

(何個もむさぼり食った、お腹は痛くならなかった)

あまりの暑さに一旦lodgeに帰り、シャワーを浴びる。
明日は朝6時からいよいよサファリ。
唾液が粘調になるくらい脱水している。あと400円しかない。


4月18日

5時半起床。6時にツアーの人が車で迎えに来た。一路アンボセリ公立公園へ。
途中車がトラブル。タイヤはバースト寸前であった。
マサイの部落訪問。Ksh300をKsh240
に負けさせ中に入るが実はこれが全財産であった。

(観光地みたいになっていて結構お金がかかったりする)


マサイの部落にて

牛の糞の家の中に入れられたかと思うと、そこで村長は我々に槍を売りつけようとする。金があにと言ってもドルで良いからとしつこい。$100は持っていたが、$50で2本のところ、Oは1980円のデジタル時計、私はタダでもらった電卓と交換。電卓をくれた薬屋さんもまさかマサイ族が使っているとは思いもしないだろう。
(つか、槍は飛行機で持って帰れんでしょう)


どこまでも続く道

昼間のサファリはあまり動物がいず、明日朝のサファリに希望をつなぐ。また明日はサファリラリーの見物も予定。
この夜$20のチェックを換金したが、フロント嬢がそれを失ってトラブル。
でも何とか解決。


4月19日

5時10分起床。6時よりサファリツアーへ。昨日とは違って早朝は動物が活躍している。キリン、ゾウ、シマウマ、ガゼル、ライオン、サイ、ハイエナ等に出会う。


ぞー

9時ごろロッジに戻り朝食。そのあと、サファリラリーの見物へ。
途中に立ち寄った店で客と話しているうちに「カラテマン」と言うことになってしまった。


いつものパンク休憩

キリマンジャロのふもとのチェックポイント近くで観戦。本物のラリーを間近に観る。
途中、スコール。


爆走のラリーカー

雨上がりの道は相当ぬかるんで我々一行の車は4WDでないため頻繁に足を取られる。外に出て押すこともしばしば。人がいれば皆協力して押してくれる。


そびえ立つキリマンジャロ

延々とドライブして夜8時ごろ土地のバーのような所で休憩。
(暗の中ヘッドライトだけで猛スピードで走るのはスリル満点。まわりに何もない所に突如バーが出現。ドライバーも酒を飲んで、また出発。だいじょうぶか)

9時出発。またもパンク。ライトとナイフが役に立つ。
夜中の12時半、ABC lodge着。真っ黒になったTシャツとタオルを洗濯して床についた。


マリンディ、ケニア

4月20日

日本を出てから10日が経った。もう随分永くここにいるような機がする。今日はダルエスサラームに行くためのバスを予約しに行ったが、タンザニアのビザがないため乗れそうにない。しかたなく飛行機でザンジバルに渡ることにしてKenya air wayの尾伏すに行き、ブッキングした。今日は週末からのイースターで銀行が休みのため金もなく、このオフィスでチェックを換金した。
その後は明日のreconfirmまで暇が出来たためマリンディに行くことにした。
乗り合いバスでモンバサ-マリンディKsh50、約2時間のドライブである。
マリンディの海は美しい。ホテルでone day membership(Ksh10)を買って今、海の見えるデッキチェアでこれを書いている。


インド洋をバックに

アフリカには2つの顔がある。一方は住民の生活に彩られた世界と、もう一つはヨーロッパをはじめとする諸国のリゾートとしてのアフリカである。

日本には水がある。生活の水準もあまり違いのない世界がある。美しい山や川がある。
人々は親切で明るく日本にはない何かが確かにここにはあるが、日本にもここにはない何かがあるようだ。


マリンディの夕景

夕方海辺のホテルで泊まった(Ksh150ツイン)。珍しく冷蔵庫が良く効いていて冷たいジュースが飲めた。

(この頃はビールとかあんまり飲んでなかったのもうかがえますが、実はアフリカではビールは一般に冷やしていないのであまり飲む気がしなかったのもあります)


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