ドクターMの回想録

アフリカ紀行(3)

198×年4月、私と友人のOは2人、アフリカへと旅立った。
行く先不明、旅程不明のあてのない旅だった。
ケニアのビザは取ったが他の国のは時間の関係で無理。到着当日のナイロビのホテルのみを予約して出発。行き当たりばったりではあるが、何とかなるだろう。
医師になる前夜のコトである。そのときの旅日記が残っていたので、この際デジタル化しておこうと思う。

(カッコ内は後で付け加えた独白です。またお金のレートなどは当時のものです。)


タンザン鉄道、2泊3日の列車の旅

4月28日

カフェエスプレッソに行く。オレンジジュース2杯でTsh30。友人Oがこぼしてしまったらもう一杯くれた。
街をうろついて博物館に入ろうとしたが、closed。
M.Kに電話したが、またもや留守。国家試験は合格のもよう。
一旦ホテルに帰って雨が止むまで待つことにする。

タクシーを負けさせてTazara駅に行く。出国手続きをすませ午後4時に乗車。
列車はかつて中国資本で作られたものでアフリカ風ではない。日本の列車とほぼ同等の設備ではあるが少々古く、食堂車のメニューはたった一つしかないあし、ジュースはぬるい。

われわれのコンパートメントには他にDSM出身の黒人ホワイトカラーらしき人、自称技術者のおじさんが乗った。おじさんは夜中の2時ごろどこかの駅で下車した。
夜は毛布がなく、猛烈に寒い。何度も夢を見た。


タンザン鉄道車窓から

夕方1人の少年が尋ねてきて頭痛がするから薬はないかと行ってきた。アスピリンをあげた。Dr.(の卵)と誰から聞いたんだろう?

(2泊3日の列車旅行。国境を越えるのでTshは殆ど使い果たしていたし、KWは持っていないので持っているお金は使えない$か円です。)


4月29日

一夜明けても外の風景には何の変化もない。ただ、緑の地平産がどこまでも広がっている他にない。サトウキビ畑とヒマワリ畑が目立つ。
午前11時、ムベア着。
発車後役人が乗り込んできて検札。所持金が若干合わないので多少ビビッていたが、2人とも嘘をつき通して何とかPass。あとは出国とZambia入国のビザの問題が残るのみ。
列車は国境の町、トゥンドゥマへとひた走っている。午後3時国境を越えナコンデ着。4時20分ザンビア側のimigration officerの検札。decrarationをして何ごともなく無事entryの印をくれた。極めて友好的。出していた聴診器が効いたのか。
一応ルサカまでは行けそうだ。

午後6時頃また違うofficerが乗り込んできてdecraration formを記載させられる。こっちは態度がでかく大変不愉快。

国際列車はスケールが大きいことは大きいが行けども行けども深緑色の地平線と空が広がっているのみで日本のように風景が移り変わることもなく大変退屈。

(国境を越えるときはいつもドキドキ)


ルサカ、ザンビア

4月30日

午前2時ごろ寒さに目を覚ます。お金が無く毛布が借りられなかったからだ。あまりの寒さにシュラフを引っ張り出して使用す。ありがたさが身にしみる。何度も夢を見た。
午前6時、突然のようにカピリムポシ駅の到着。現地時間午前5時。

旧カピリムポシ駅まで歩き、ルサカ行きのバスに乗る。1人KW12(クワッチャ)

(KW1=7円)

3時間かかって午前10時半、ルサカに着いた。意外に大きな町である。
すぐに4日のナイロビ行きの飛行機を予約しにZanbia airに行く。幸い予約OK($218)
。その後銀行に両替に。明日はメーデーで休日なので少し多めに$100=KS200を両替。
ところが街に出てビックリ。コーラはKW2、TボーンステーキがKW25とべらぼうに安い。昨日とうって変わって大変な大金持ちになってしまった。

宿探しが大変だった。どの機行ってもfull、あっても$払いで高い。
しかたなくタクシーに頼んで探してもらうことにした。結局YWCA($10)に落ち着くことになった。


YWCA

その後再び街に出て明日のVictora alls行きのバスを予約することにしたが、行きがfullだったので帰りの片道のみ予約(KW105)。
行きは他のバスか列車で行くことにする。
町で買い物。特産の銅や銀製品が驚くほど安い。銀製品を中心にKW1000ほどお土産を買った。

(今度来るときは元が取れるぞとか思った)


リビングストン、ザンビア

5月1日

早朝4時起床。5時半くらいまでにバスターミナルに行くためだが、何とYWCAは施錠されていて出られない。しばらく待ったがダメだったので2階から脱出。タクシーに乗ってターミナルへ。


ルサカの夜明け前

満席のバスでリビングストンへ出発(6時)。お尻1個分のスペースに腰掛けて約10時間。、その間立ったり、お尻2個分だったりした。途中子供にアーモンドチョコをプレゼントした。喜んで食べていたが、どうもアーモンドを種と思ったような感じであった。
またしてもどこまでも続く地平線。途中何回も検問、パスポートの提示を求められる。
午後4時、ようやくリビングストン着。タクシーで宿探し。Zambezi motelに落ち着くことになった。5時からザンベジ川クルーズがあるというので早速参加。


ザンベジの猛獣


若かりし頃のDr.M

ZAMBEZI SUNSET

約1時間のクルーズ。カバが沢山棲息している。ザンベジ川の夕日を感慨深く見た。夜は街に出て豪華に食事。一流ホテルのレストランでスープから分厚いステーキ、コーヒーまでのフルコースで1人KW45(300円)。気の毒なくらい安い。
motelまで歩いて帰るも予想以上に遠く、1時間もかかってしまった。zambezi motelは1人KW90だが一応バスタブもある。水は茶色いが昨日のYWCAはシャワーも出なかったし、その前のタンザン鉄道では2日間シャワーも浴びることも出来なかったので大変気持ちよかった。明日は10時よりいよいよVictoria fallsに行く予定。


ビクトリア滝、ジンバブエ

5月2日

10時、タクシーでビクトリア滝へ。まずザンビア側のイミグレーションで出国手続き。しかしこのときわれわれはKW300ほど持っていたため出国できず。海外持ち出しはKW10までとのこと。一旦近くのinter continental hotelまで引き返し、とりあえずお茶。またもZambezi motelmで引き返さなければいけないのかあと思ったが、道路標識の下に金を埋めて隠しておくことにした。
かくしてわれわれは無事Zambia側のimigrationをpass。国境の橋を歩いて渡り、Zimbabwe入国。今度はジンバブエ側のimmigrationで入国手続き。人が多く1時間近く並ぶ。現地の人間のマナー最悪。割り込み多し。


国境の橋


ザンビア/ジンバブエ国境にて

Victoria fallsははたして巨大な滝であった。二重三重の虹が大きくアーチを描き、日本ではとてもお目にかかれない豪快な風景である。


Victoria Falls(カバ落ちんのかなあ)


Victoria Falls(全貌が見えない)

一回りしてから、またZambiaへ。またしても2度のimmigrationに1時間。
隠していた金を無事掘り起こしinter continental hotelで早い夕食(5時)。ここも非常に安い。
サーロインステーキ150円程度。毎日食べてもいいぞ。
タクシーでmotelに帰り一風呂浴びる。

(ザンビアでは急に大金持ちになって毎日ステーキを食べていた)


5月3日

昨日の夜、突然borderでdicralation formをもらい忘れていたのに気づいた。もし無ければZambiaを出国できない。われわれ最大の危機である。
夜の間にborderに行ってみようとしたが、既に閉まっているとのことだった。
早朝6時半、一番にborderに行ってみる。今日は日曜のため、もし閉まっていたらOUTである。
でも幸いにして開いていて意外とすんなりformを発行してくれた。
明日の朝にはNairobi行きの飛行機に乗らなければいけないので、かなり冷えた。

(この時は時間が無かったため本当に冷えた)

売店で買い物をしてからチェックアウト。Fairmounthotel前のEaglbus乗り場から12時リビングストンを出発。6時間の予定。
途中またもやパンク。30分のloss。その後バスは飛ばしに飛ばして予定通りルサカに6時到着。ルサカのホテルで豪華夕食(KW42)。明日の朝8時にタクシーを予約してYWCA着。明日はNairobiだ。


おなじみのパンク


再びナイロビ、ケニア

5月4日

昨夜同室となったChikwanda氏に別れを告げ、6時半出発。空港へ。
余ったKWでライオンの爪を買う。
今回はすんなり乗れそうだ。Securityの人がSTDの薬はないかと聞いてきたので膀胱炎の薬をあげた。

Oが空港で写真を撮っていて当局に拘束された。軍事施設のようである。フィルムを没収されたが無罪放免となる。
午前9時、機上の人となった。


再びナイロビへ

Nairobi12時半着。Oakwood hotelにチェックイン。
明日から5日間余裕があるのでマサイマラ国立公園への3日間のキャンピングツアー(Ksh2000)を申し込んだ。最後のサファリツアーとなるだろう。明朝9時出発予定。

3週間前ナイロビに初めて着いたときには大都市とは言え、やはりアフリカの物資の乏しさと田舎臭さが感じられたのだが、今ほかの小さな都市や国を訪れて帰ってくると、やはりナイロビはアフリカいちの大都市と感じる。
日本とは比ぶべくもないが他の小国と比較するとKshは安定しているし物資も相当多い。
一般の人々もたいていは靴をはいているし、着ているものもこぎれいである。
巨大なホテルは建ち並びレストラン、喫茶店、ツアー会社などが至るところにある。ナイロビだけではアフリカは到底理解できないだろう。

夜、ロブスターポットというレストランでロブスターを食べる(Ksh180)。
物価は相当高いが日本に比べると安い。

(昨日までの大金持ちがまた貧乏人に早変わり)


つづく